長文語りブログ

気持ちが昂ったときだけ更新するブログです。

正しさとは 推し活とは

オタ活って難しいよね。

今まで通ってきたジャンルとは異なるコンテンツに触れる機会が増えて、オタクとして正しいオタ活って何なんだろうと考えるようになった。

たまーにTwitterとかで書いてるけど、私は「推し至上主義」な考えなので、推しの一挙手一投足を褒め、あらゆる行為を全肯定するタイプだと思う。

BUMP OF CHICKENに対して、いやアンコールのセトリ4公演中3公演被りは酷いやろ、と一旦は言うけど、それでも私をembraceほぼ確定演出女にしてくれたことに感謝している。もう今後ライブでembraceが来ても一切叫ばない自信がある。一生分を浴びた。そもそもembrace自体が今までほとんど演奏してこなかった曲なのに、なんで1つのツアーでポンポンやるのか分からない。分からないけど藤原基央の中で2023年はembraceで、そして2023年の私のテーマソングはembraceだったんだろうな。いい歌なのでBUMP知らない人も是非。

‎BUMP OF CHICKENの"embrace"をApple Musicで

embrace

embrace

推してるJアイドルもKポアイドルも年下で保護対象という認識なので、誹謗中傷なんて爪剥がされてでもできない。何やっても推さなきゃオタクじゃないとか、そういう使命感があるというわけではなく、こちらが一方的に推させていただいているので頼むから一日でも長くアイドルでいてくれれば…、というヨイショの感情に近い。年上はバンドでしか推したことないから分からないのかもしれないけど、綺麗な顔の人間が自分を偽って見ず知らずの人間に笑顔を振り撒く仕事をしている人に、どんな職業の人間にも石を投げる資格はないと私は思っている。

でも私も最近は周りのファンとの温度差に戸惑うこともある。BUMPの公式アプリで有料会員コースが設けられたとき、私はやっとBUMPにFCができて嬉しいと思ったけど、Twitterで一部の人間が「ファンを区別してほしくない」とか、「FCを作らないスタンスを貫いて欲しかった」とか、あれこれ呟いているのを目にして、お前は何を言っとんのかと思った。そんな人間がライブに来とんのか、と。私はもうBUMPに対するありがとうは一生分言い尽くしてしまって、今は来世分のありがとうを伝えてる気でいるので、金で感謝を伝えられるのがとても嬉しいしありがたい。合法で金を振り込ませてもらい、さらにFCも入らせてもらえるなんて画期的やん。ライブなんて綺麗事じゃ入場できんのよ。箱に入れた人間が"勝ち"で、入れなかった人間は"負け"なんよ。FCを作らないスタンスに憧れを抱いたのであればFC入る入らないは勝手にすればいいけど、文句言うのは違くない??こういう温度差に苦しみながら、でも「BUMPってファンの民度高いよね〜」みたいな内輪ヨシヨシが気持ち悪すぎて無駄に界隈への反抗心が育ってしまっている。うっせぇわ〜〜〜〜!!!!!ボーナスぶっこむから重課金者限定のライブやれよ。どうせ厄介オタクなのは重々分かっとるんよ。

あとこれは別の意見だけど、昨日はRADWIMPSのライブに行き、初めてライブハウス規模でRADを見た。確かに今まで行ったどんなコンサートよりも近かったけど、ふと「もっとたくさんの人から愛されている洋次郎が好きだな」と思ってしまった。アリーナ満員のファンから一方的に向けられた愛を受け、客席に返してくれる人間離れした野田洋次郎を私が見たいのであって、ライブハウスの規模だと完全に野田洋次郎1人に会場が飲まれて客の数が足りなさすぎた。東リベのマイキーが「200人?俺を誰だと思ってる?20000人連れてこい!」みたいなこと言ってたけど、野田洋次郎も完全にソレだった。客側にハンデがほしかった。ライブとは近ければいいというものでもないなと知ったけど、でももし20代の若いときだったらそうは思わなかったかもしれない。年齢によって受け取り方が変わってくると思うと、その年で満足できる推し活なんてレアだよね。

そう考えると、数年前に人生捧げるくらい推してたソシャゲでは、推しは熱愛しないし、いつ見てもビジュは大優勝してるし、ファンサは全員に平等だし、推し個人としては1番優秀なんじゃ…とも思う。ただ身も蓋もないことを言うと、脚本家によってキャラがブレたり、運営からガチャやイベの売上によって明らかに人気差別されたりするので、何に対してもメリットとデメリットってあるよね。

認知の要否でもファンそれぞれで、私はファンサは欲しくて認知はいらないタイプだけど、でも認知をもらってこそ自分の推し活と思う人間もいて、「私がこうしたい」は「だから周りは間違ってる」とはイコールにならないと理解してるはずなのに、そこの引き際というか開き直りが本当に難しいし、集団から外れると疎外感を味わって集団と見なされることに嫌悪し始めて、気づけば界隈から離れて熱が冷めてしまったりする。界隈に属するということは、いろんな人がいろんな入浴剤を勝手に入れるスーパー銭湯のデカいぬるま湯に浸かり続けるようなことで、他人の入浴剤の匂いが嫌い!人がいっぱいいてストレス!と感じてしまう人は、小さな自分の家の風呂に自分で湯を沸かして自分で入浴剤を入れて、たまに熱しすぎたり冷めてしまったりするけど、それでも心身を癒されるために入り続けることが界隈に属さない推し活なのかなと思ったりする。他人の入れた入浴剤に浸かってもストレスじゃなければ、そこはまだ「属せる」界隈なんだと思う。

でも年々と自分の趣味に対するこだわりが凝り固まってきているのは確かで、ほんの7〜8年前までは「オタク同士でルームシェアしたい!オタクのための老人ホームに入りたい!」なんて本気で思ってたけど、今は自分の趣味に他人に土足で入ってきてほしくないと思うし、オフに人と会うことの煩わしさのほうが勝ってしまっている。引きこもりたい…引きこもりたい…(汚いライオン)

ライオン

ライオン

 

色々と書いたけど、でも推しは世界で1番慈しまれるべき存在で、どこに出しても恥ずかしくない自慢の推しが雑に扱われたり客寄せパンダにされたりすると私も黙ってないよ😃推しに石投げるのは分かんないけど運営に石投げるのは全然いいと思うよ😃(事務所のことを運営と呼ぶな)。

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急に自分の話をするけど、30過ぎて20代の頃とは違うタイプの生きづらさってあるよね。

20代後半の私は、社会人として得た給料を自分の欲を満たす活動に投げ打ってて、それはそれは本当にとても楽しかった。心の支えが何個もあって、コンテンツの消費が休日だけでは終わらないくらい忙しくて生活が充実してた。前の会社は半分肉体労働だったので、私もまだ体力があり、ライブ終わりに終電で帰宅しても翌朝ピンピンして肌もピッチピチだった。※なお、終電と言っても茨城方面への終電なので0時前には帰り着きます。

転機はコロナと、藤原基央の結婚と、BUMPのベース活動休止なのは確実で、私が必死に信仰してきた年数なんてお構いなしに藤原基央は割と自分勝手だし、音楽業界とイベント業界に浴びせられる罵声やら藤原基央への結婚祝福コメントやら芸能人の不倫に対する学級会やらのコンボで、私はこの世からの疎外感を嫌と言うほど思い知った。神に全幅の信頼を寄せてはダメだと学んだし、自分の機嫌を自分でコントロールできるようになるという意味で、大人にならなきゃなとも思った。

20代で、心が子供なまま、自分では何も動かずに他力本願で何かの慈善事業が救ってくれるのを口開けて待ってるような汚いゴミが最終形態だった。本当に毎日夜になると死にたくなるよね。台所にうずくまって何もできない日が続いたり、枕元の充電コードが首に巻き付いて翌朝冷たくなってればいいと毎晩思ったりしてた。しんどかった〜

30代に突入した今現在は、色々な諦めからくる謎の悟りのターンに入ったまま、別に抜け出したいとも思わずにダラダラと日々を浪費している。かわいい服買いたい、いい化粧品買いたい、たくさん寝たい、の欲を順ぐりに消費させて「でもこんな酷い世界で生きてる私は偉いんだ」と謎に強気な開き直りで自分を納得させてる。周囲の人間が立派な社会活動やら結婚生活やら子育てやらめちゃくちゃ頑張ってるのをすごいな〜と心から尊敬しながら、それでも今の私が生きててダメな存在か?というとそうではない気がして、なんだかんだ30年生きてきて今が一番楽しい気がしてる。自己暗示でそう思ってるだけかもしれないけど、20代後半でゴロゴロ転がるように沈んでいった感情が30代直前で行ったBUMPの25周年幕張メッセで救われたし、結局私はBUMP OF CHICKENに生かされてるんだなと再認識してから、なにか吹っ切れたように他人のことがどうでもよくなった。相変わらず自分のことはめちゃくちゃ醜いと思うけど、醜いけど嫌いではないと思うようになった。なので今が1番生きてて楽しい。藤原基央へ、等価交換だ。私の人生全部あげるから、28周年ライブのチケットください。