長文語りブログ

気持ちが昂ったときだけ更新するブログです。

拝啓、川島如恵留様

本日も生きているだけで偉い人間です。如恵留くんはいかがお過ごしでしょうか。ところで、生きてるだけで偉いという褒め言葉は、時に優しく寄り添い、時にとても頼りない言葉だと思います。大人になって他人から褒められることがめっきり減った日々の中で、同じ仕事をしていても賞賛される人間と誰からも感謝されない私の差は一体何なのだろうと考えると虚しく、何かにつけて自分と他人を比較しては、家に帰り私がリビングを一歩たりとも動かずに何も成し得ていない時間の中でも、他人は1つ2つやるべきことをやり、成果を出し、将来に繋がる投資を行っているのではと不安が絶え間なく湧き出ては息がしんどくなりどんどん動けなくなることがあります。はたまた自分の人生と引き換えに、自分の子供の人生の手引きを行なっている友人もいると考えると、私の人生の答え合わせが上手くいっていないような、正解からはみ出た無力感のようなものに飲み込まれていく心地です。そんな自分のことをどうにか正当化しようとするけど、全部意志の弱さを隠す言い訳に収束してしまって、結局やることを残して何もできずに睡眠不足のまま、次の日仕事に向かう私がいるのでした。でもその時比較する他人とは、やけに具体性を持っただけの幻想で、もしくはパラレルの自分かもしれないと考えたりもします。あの時こうしていれば、という魔法の言葉に一生囚われ暗中模索で五里霧中の人生ですし、もしかしたら他人はこんな心配もないのか、とまた存在しない他人を脳内で錬成し、自分を主観的に卑下する毎日です。そして、何を言っているんだ、自分は十分恵まれた環境にいるではないかと、普段見逃しがちな幸福に気付けたりします。でもその時の幸福は幸福の形をしておらず、自分のことを後ろから指さして否定する存在で登場してきます。幸福側もこんなふうに呼ばないでくれと思うし、どうせ呼ぶなら噛み締めて感謝されながら呼ばれたいよなと思います。そんな時、生きてるだけで偉いという褒め言葉のことが、みんなが当たり前にできることでしか褒めてもらえない自分が最低限手にすることができる無課金装備のような、鼻であしらうための言葉に聞こえてしまうことがありました。私の人生が、生きてて偉い、仕事に行って偉い、しか褒められない退屈な物に思えて、辛くて消えたくなることもありました。実際は消えないし、そんなことないし、1週間くらいしたら忘れるのに。

私が如恵留くんを知ったとき、魂が清く美しい人だと思いました。その認識は今も変わらないと思っていて、ダンスもボーカルも知識も、とてつもなく長い時間と引き換えに身につけた宝物をたくさん持ち、それを惜しみなく披露し、武器として身に纏う姿はアイドルという戦場を生き抜く王子様のように見えました。何事も貪欲に吸収し続けて、どんどん強く太く精強な姿になっていく如恵留くんを応援しながら、そんな如恵留くんが何故か出来ないことを一つ知ることが何よりも嬉しく、その分如恵留くんへの愛しさが大きくなるのを感じました。

↑私の大好きなTikTok。如恵留くん(一番後ろ)嘘だと言って。

2年くらい前、私の推しも活動を休止したことがありました。如恵留くんと同じグループの閑也くんです。閑也くんがお休みしてた時、たった一人のファンの力はなんて無力なんだと思い知りました。毎日小人の私が閑也くんの肩の上でどれだけ貴方の存在に救われたかを諄々と説き、24時間無休で彼の素晴らしいところや大好きなところを延々列挙し続けることで彼の心が癒えるならば、会社を休職してでもやらせてくれと思ったし、それが彼の救いになれないことも分かっていました。大切な推しが私と同じ時代に生きて、五体満足で健康でいてくれることがどれだけ尊くて儚いものかを知り、ファンという人間が推しの人生に作用しない存在であることを痛感しました。ちなみに私は推しが死ぬタイプのオタクなので、閑也くんがお休みした時も私のせいだと死ぬほど自責の念に駆られました。広い宇宙の中で推しと同じ星に生まれ、さらに推しが私と同じ時代を生きていて、おまけに健康で、しかもアイドルをやっていて、すごいことに私たちファンに向かって笑顔を見せてくれていることは、一見当たり前のように感じるかもしれないけど、多分ありえない奇跡の上で成り立っていることなのだと思います。確率で求めると、ドラマのガリレオの湯浅先生があのBGM中に書き終わらないくらいの数字になるはずです。ファンとアイドルは一生交わらない世界を生きる関係だし、私はそれでいいと思っています。ファンはアイドルに生かされ、アイドルはファンに支えられる、きっと片方がサトシで、片方がピカチュウのようなものなんでしょうね。何を言っているかわからなくなりそうなので話を戻します。閑也くんがお休みした時、トラジャの6人のことが本当に誇らしくて羨ましくて、何よりも愛しかったです。WODの決勝戦、私たちファンが思うよりずっとずっと重たい感情を抱えて、6人の中で6通りの閑也くんがいたのが見えました。嘘じゃないです。閑也くんを決勝に連れてきてくれて、7人で戦ってくれてありがとう。6人がいてくれたから閑也くんが戻って来れたとずっと思っています。如恵留くんにとってのトラジャの6人は、誇らしくて羨ましいでしょうか。きっと閑也くんがお休みした時よりもずっとずっと強くて頼れる6人に成長していると思っています。一番近くで見てきた如恵留くんだから、ファンが見えない6人の強さが見えてるんだろうな。

30歳ってしんどいですよね。私は人生の中で28歳~30歳が一番しんどかったです。でも30歳の時に行ったライブで、思い出したくもないような無くした2年間を、2時間の公演で救ってくれたライブがあって、その時に「私の好きなアーティストは、私が死んだら悲しいのだ」と気づきました。それでなんとか生き延びることができたと思っています。誰かの人生を救えるアーティストという職業がどんなに神がかりな仕事であるか、ただただ尊敬するばかりです。如恵留くんが救われたと感じてくれるようなアーティストはいますか。いたらとても嬉しいです。それにしても、アイドルという職業は昨今の転職市場と逆行した終身雇用の難しい職業だなと感じます。私たちサラリーマンは自分の働く環境を変えることができるし、たまにしんどいときは仕事をサボったりできるけど、アーティストとは知名度と引き換えに自由な働き方ができないガチガチの厳しいお仕事で、転職もサボりもできない実力社会の一発勝負で、どこの誰がこんな仕事に就いておまけに私たちファンに向けて笑いかけてくれるというんですか。もはや感謝通り越してだいぶ狂気の沙汰だなと思います。でも如恵留くんがそんな仕事を天職と呼んでくれているのを知っていますし、ひたすらに頭が下がります。だからこそ、ちょっと無理かもと思ったらアイドルだから休めないという考えは捨てて世間の人は割とめちゃサボってることを思い出して早急に休んでほしいし、なんならどんな職業でも休める世界に変えてほしいです(また無茶をさせるようなことを)。如恵留くん含めアイドルはみな完璧主義かもしれませんが、完璧な人間なんていないと誰しも分かりきってるくせに、偶像にはそれを求めているギャップがどうも許せないなと思うことがあります。清廉潔白な存在は、日常ではむしろ不気味がられるはずなのに、アイドルにはそうあってほしい、あるべきだと論じることは、やはりアイドルと私たちファンが混ざり合わない世界で生きているからで、お互い違う存在に見えているからかもしれないと思います。やはりサトシとピカチュウなのでしょうか。

最後に、先日公式のインスタに上げてくれていたショート動画で如恵留くんがずっと下を向いている姿がとても印象的で、胸が張り裂けそうでした。今までどんなときでもカメラの奥のファンの目を見てくれていた如恵留くんと目が合わないことが何よりショックで、法律が許してくれるなら仕事を辞めて今までの感謝を絶え間なく読経したいし、クラウドファンディングで超絶リッチな温泉旅館を1ヶ月貸し切って如恵留くんに使ってほしいです。如恵留くんの好きなタイプが「相手の目を見て話す人」だったから、人の目を見て話せるように練習したよ。話は変わるけど、私たちの育った時代って「目を見て話せ」と「ジロジロ目を見て話すな」で二極化してたよね。私の家は後者だったので、今はマイノリティになってしまいこのグローバル社会でめちゃくちゃ苦労してます。話を戻して、如恵留くんはいつもファンに愛を示してくれるのに、私たちファンは思いつく愛情表現の方法が下手すぎて自己嫌悪します。ファンが一生かけても払いきれない大きくて献身的な愛を振りまいてくれる如恵留くんにまた会いたい気持ちはそのままで、今は如恵留くんへの愛を自分の言葉で紡ぐことで少しずつ返済できるようにしたいです。