長文語りブログ

気持ちが昂ったときだけ更新するブログです。

大好きな野田洋次郎さん地球を滅ぼさないでください

RADWIMPSの全国ツアーの横浜公演にBUMP OF CHICKEN含めた3組のアーティストが対バンに参加する件についてブログを書こうと思った。

私はRADもBUMPも好きで両方の有料コンテンツに課金しており(BUMPはライブ映像を配信して可愛い猫を飼うだけのアプリに年間6,000円払ってるだけでありファンクラブではない)、何かツアーがあればほぼ必ず参加してるファンなので、正直なところ何に手を染めてもこのライブに行きたい気持ちと、もし行ってしまったらこれまでのライブやコンサートの記憶が全部このライブをハイライトとして塗り替えられてしまうかもしれないことが嫌な気持ちとで二律背反している。

前にツイートにも書いたけど、この対バンライブが無くなれば人類は争わず皆が平等になるので今からでも配信のみにしてライブが中止になって欲しいと思うし、チケ代はS席の15000円分を吸い取ってくれて構わないと思う。人類を「このライブに行った人」と「いけなかった人」に分け、さらに「自分は2025年11月22日にRADとBUMPの対バンライブに行った」というステータスをファンとしての箔や、人生に添えられる華と認識している人間を100%排除できない事実が心苦しいし、到底許容し難い。おそらく、RADWIMPSのファンとしてここ一番の「ファンの気持ち考えたことあるんですか?」が出そうになった。

あと関係者席に仲の良いアーティストとか抽選を勝ち抜かずに入れたりするのも腹立たしい。音楽活動してるだけで2組のファンという立場的には私と同じなのに。 私はBUMPのホームシック衛星ツアー初日のKアリーナ公演で、我々下々の市民は全くと言っていいほど当選しないのに、関係者席にぬくぬくと呼ばれたKing Gnuの井口理のことが憎くてたまらないのでアカウントはブロックしている。(ギャグですよ)

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片や今年結成20周年で初期メンバー4人中2人しか残っておらず、片や来年30周年で初期メンバー4人全員が残っており、しかも2人しか残っていない方は去年ギターと仲違い(おそらく)して決別した直後の全国ツアーであり、こんな残酷な対比あるかよとなんともやるせないし見ていて辛いし、仮にこんな状態のRADが BUMPのファンから何を言われたとしても全部RADの2人に対する攻撃にならないかと、いらない心配をしてしまう。あと「絶対当てたい!」とか公式にリプライしながらプロフィール欄にRADWIMPSの名前がない人、こいつらもみんなブロックしている。お前らは7月5日に滅ぶよ。

絶対に杞憂だと分かっていても、ギターボーカルの野田洋次郎とベースの武田祐介の2人がRADWIMPSとしてBUMP OF CHICKENと対バンすることを100%喜んでいることが分からない限り、このライブに対してネガティブなイメージが拭えない。

RADWIMPSの音楽はかっこよく、美しく、優しく、皮肉たらしくて、人間の欲や性善説でありたい望みを音楽として昇華しており、そして何よりも誰よりも演奏と歌唱が上手いことが彼らを化け物バンドにしてきる理由と思う。今の彼らの形態をピースが欠けた状態として見ている自分がいることが悔しくて申し訳ない。今、毎週土曜の夜に過去のツアーの映像を無料で配信してくれているのだが、私はそれを狭い1Kの部屋で見ながら、脱退したギターが映るたびに渾身の大声でバカタレと叫んでいる。悔しい悔しい。「RADWIMPSの2人は、バンドのピークは何人で活動しているときだと思いますか?」と、その問いが頭によぎるだけでも私は純粋なファンでいなくなっていると認識してしまい悔しい。仮に、私が思い出補正のために一方的に「昔のRADWIMPSは良かったな」と思い込んでいるだけで、当の本人たちは現状が一番のピークであると思えているならそれが一番安寧で、上で私が書いたことはただの押し付けで、ウザくて重くて嫌われるファンだったというだ。そしたらそのままこの思想を恥じて申し訳なさで腹を切って死にたい。

野田洋次郎の歌詞は等身大で血が通ってとても優しい。「誰も端っこで泣かないようにと君は地球を丸くしたんだろう?」は、爆発的にセンセーショナルな表現で一回聴いたら忘れないほど衝撃だった。今は一周回ってネタにされてるくらいなものだが、言葉選びの遊び心と根底にある人間らしく視野の広い優しさが見えるところがRADWIMPSの作品を他のアーティストのものと一線を画して輝かせる部分だと思っている。

いわゆる陽キャに受け入れられるオシャレなかっこいいバンドサウンドや英語歌詞を使いHIP HOPを取り込む多彩な引き出しの多さと、陰キャが好きそうな厨二感のバランスが取れているところも珍しいと思う。多分RADは聞くけど BUMPを聴かない層は一定数いるけど、BUMPは聴くけどRADは聴かない層は少ないのではと思う。なお、BUMPはメンバーが公式でファンに陰キャが多いことを認識しライブでそれとなく発言している。以前SnowManの佐久間くんが好きなRADの曲を列挙していたが、私と違いすぎて「あ、陽キャのプレイリストはこうなるんだ」と横転した。該当のツイートはこちら。https://x.com/SAK_SAK_SAKUMA/status/1883848330117275827

賢い人が上手く曲を作っている印象があるバンドが増えたり、アイドルグループに押されてバンドグループが音楽番組に出なくなったり、2020年代で売れるためのスキルがいくつも求められる中で、正解や賜物をリリースする胆力に脱帽し尊敬する。何を食べて何を聴いて何を思えばこの2曲が生まれるのか。

RAD、野田洋次郎の好きなところは以前のブログでも書いたので、この辺にしておく。良かったらこっちも読んでね。世界はクソデカ感情であふれている - 長文語りブログ

今のRADWIMPSにかけるべき言葉が見つからないと思っていた。「寂しい」「メンバーが抜けたこと残念だったね」「ドラムのさとしのニュース見たよ」「いつもありがとう」「歌上手いね」「結婚して」全部違う気がする。私が好きだったあの頃のRADWIMPSと、今好きなRADWIMPSは同じだけど、異なる形になった。

「推しに幸せになってほしい」という願いは、他人の気持ちを無視して自分の願望を押し付けることだと、最近読んだ本に書いてあった。私はただの一ファンで、私の願いや感情はRADWIMPSの2人が幸せであることとは何も関係がないはずだけど、魂が震えて涙が出るほどの感動を与えてもらった恩返しを0.1%でも還元したいと思う感情を色々デコレーションして「幸せになって」という言葉に変わって口から出る。でもそれは私自身のためであり、RADWIMPSの2人のことを思うのであれば、ファンクラブを継続して応援することしかできないのでは、と思った。もどかしいけど、RADに対しても私自身に対しても、それが一番の最適解な気がする。なので対バン以外の日程にももちろん参加するし、RADだけの20周年を祝いたい。あともう一つお祝いしたいことがある。野田洋次郎さんお誕生日おめでとうございます。

 

今気づいたけど、今日が7/5と思ってたので野田洋次郎の誕生日から1日早くなっちゃってて、下書きに戻そうかと思ったけどもういいや。

未来の私は藤原基央を思い出して笑う

藤原基央さんお誕生日おめでとうございます。1日遅れで申し訳ない。46歳になっても、作品も本人も老け込まずに第一線で光を放ち続けていることを本当に尊敬するし、それに倣って私の好きなバンドマンみんな、藤原基央のように歳を取らずにいてほしいと願います。

ふと、今の私の年齢の頃の藤原基央はどんな曲を作っていたか気になって調べたら、藤原基央の32〜33歳は2011〜2012年で、日本が一番大変な頃だったんだなと知った。その頃の作品が、友達の唄、ゼロ/ Smile、グッドラック、fireflyという曲たちで、それらがあまりにも差し伸べられた手のような血が通った温かさを持つ曲ばかりだったので、「わかる、なんか最近無性に人間の優しさを集めて抱きしめて生きてたいよね」などと、当時の藤原基央の心境に無理やり寄り添ってみた。藤原基央の33歳は大変な時代だったんだね。

生きている言葉をメロディに乗せて人に聞いてもらうのはどういう心境なんだろうと思うことがある。藤原基央が書く詞と、藤原基央が発する声から、私は藤原基央の世界に触れて、私の思想と混じり合った藤原基央を享受している。アーティストの面を取り繕っていない46歳の藤原基央と、私の中の神聖で崇高な藤原基央とはリンクはしていても、イコールではない。私は曲とライブを通してでしか藤原基央を知らないし、逆に藤原基央が家を借りるときに訪れた不動産の窓口担当者がいたとして、その人はBUMP OF CHICKEN藤原基央としてではない藤原基央と触れることがあるのかもしれない。多分、私と同じようなファンの中に、一人一人違う藤原基央がいて、各々がその藤原基央を取り込み、自分と一体化させて愛しているはずだ。なので私は、TwitterにいるBUMPのファンを見て「藤原基央の解像度が違う」と憤慨するけど、それは私が見ている藤原基央では無いので当たり前だな、と納得するようになった。昨今の推し方ブーム疲れでも語られるけど、他人と推し方を比較するなという理論を噛み砕けば、私の中の藤原基央は他人と容易く共有するものではないし、ましてや他人と同じような愛され方をされる存在ではないと思う。なので、他人には "私の藤原基央" に踏み込んでほしくはない、という理論は成り立つのに、一方で私は "私の藤原基央" を共有したいという無駄な欲求があるため世間と喧嘩してしまう。

昔に目にした漫画で、高校生バンドの日常を描いた作品の登場人物が「バンプの藤くんはキモい(要約)」と言っているセリフがあり、無性に腹が立ったことを今でも忘れられない。その作者は、バンドマンはダサくて自己陶酔するキモい存在という自分の認識を、自分の漫画の登場人物の姿を借りて発言しており、その描写はテンプレートとしての外枠のみを捉え、言語化を放棄し、音楽を舞台に描く作品の作者としてはあまりに表現を省略しすぎて思慮を欠いた思想だと思った。細かいことはさておき、要するに最愛の人物をキモいのテンプレで当てはめられたオタクはシンプルにブチギレた。そのときのガチギレお気持ち表明が今ならできる。誰かから見た藤原基央ロキノン系のサブカル雰囲気イケメンかっこわらいという存在であり、それは私が見る藤原基央とは異なる存在ということだ。かく言う私も、その作者がおそらく丹精込めて溢れる創造意欲を熟成させられた存在であろう向井秀徳のことを、「あまり私には刺さらない曲を歌う有名なおじさん」としか認識していない。私は喧嘩をする気はないし、アンチぶらずに嫌なら見るなが正義なのでこのへんにしとこう。漫画のリンクを貼っておくので、気になる人は読んでみてください。知ってる人もいるかも。

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全然違う話になるが、ここ最近は藤原基央以外でも推し方に対してそこそこの活力とそこそこの金銭感覚で十分に楽しめている自分がいて、それは多分、前回のBUMP OF CHICKENのツアーで好きな曲が組み込まれたセトリを聴き損ねたことが原因かと思っている。この2年間のうちのライブツアーで命を救われ、さらには個人で抱え込むには身に余る程の藤原基央の真っ直ぐな愛情表現でいっぱいいっぱいになった私は、精神衛生的にここ数年で類を見ないくらい健康でピチピチになってはいるが、しかしそれと逆行するほどに好きな曲をツアーで聴けなかったことで感情が正と負の両極端に位置した結果、一周回って藤原基央への執着が0に帰した。

今でも自意識として、「魂の薬指同士で繋がる藤原基央とソウルメイトの私」という枕詞が常にある。今後BUMP OF CHICKENに対して何かが起こっても動じない自信があるし、おそらく今後狼狽するイベントは解散もしくはメンバー脱退だけである。フラグでは無いのでLONGFELLOWの皆様よろしくお願いいたします。

私はBUMP OF CHICKENのファンとしてあるべきオタクであろうと心掛けていたし、同じ界隈に(輝かしい藤原基央の人生における唯一の汚点と言っても過言では無い)あのラジオ結婚報告を素直に祝福した存在が属することを許容できなかったけど、今はそういうことはほぼ意識の外に忘れておくことができるようになった。私の今後の人生で私が藤原基央と過ごす時間を大切に生きていけるか、ということしか考えないことは、メンタル的にたいそう楽であることに気づく。追っかけをやめた訳でも、熱が冷めた訳でもなく、向き合い方が等身大で、いい意味で"自分"が主語になった気がする。私が藤原基央との関係を決めて良いのだし、一方で藤原基央はそんな私と魂を繋げてくれて、都度のライブの度に「待ち合わせしたよ」と言ってくれる。優しい。

藤原基央と出会ってもうすぐ20年である。20年の間、好きを更新し続けて、私の誕生日の前日に結婚報告をし、ライブごとに毎回新しい姿を見せてくれて、土日で異なる曲を固定し両日参加しないと全ての曲を聴かせてくれないクソッタレなセトリを組んでくるBUMP OF CHICKENから私が離れることはない。BUMP OF CHICKENを聴いている自分が好きだし、別のバンドを聴いている自分も好きだ。全ては藤原基央が救ってくれた私の大切な命であり、だが恩を感じつつも藤原基央の一挙手一投足に意味を感じる必要はなく、そんなことしなくても藤原基央は私にとって一番近くにいてくれることに気づけた人間の人生のパート2が始まった感じだ。ちなみに私が聴き損ねた好きな曲はpinkieです。

pinkie

pinkie

(ここまで一気に書いて、時間を置いて見返したらめちゃくちゃ気持ち悪かった。けどこのまま残そう。)

BUMP OF CHICKENのファンって代替わりの代謝が悪すぎると思う。長く聴いてる人はずっと聴きにくるのに、「今日初めて来たよ〜って人?」で毎回1割くらい手を上げる人がいるのがずっと不思議である。このままライブの1割がBUMPのライブに初めて来た人になり続けて、地球上の人間は全てBUMP OF CHICKENのライブに行くことになるまでBUMP OF CHICKENが存在し続けて欲しい。藤原基央の脳と声を永遠に保存し続けられるボタンがあったら世界のみんなに投票ボタンを渡して死ぬほど迷おう。でもAI藤原基央がもし民意で生まれたら、それは私への最大の侮辱なので、私は世界を滅ぼすよ。

書きたいことを書いたので、ここから下は【BUMP OF CHICKEN TOUR 2024 Sphery Rendezvous】の感想を書く。ライブの感想は熱いうちに書くに越したことはない。思い出しながら書いているとどんどん「藤原基央、好き」「増川弘明、若すぎ」に上書きされていく。

今回はドームツアーだったこともあり、チケットも初回の購入者特典ですんなり手にすることができた。誰が当たってるのかも分からない4次先行後の各プレイガイド先行の結果に張り付き、毎週やきもきするストレスのようなものが無いことはとても快適だった。会場の押さえや経費など難しいのは重々承知の上で、やっぱりBUMPはドーム規模でないと誰も幸せにならないと思う。私個人としては、席が取りやすく、そして数万人からの大好きという感情を受け取る4人が一番輝いているので、アリーナよりドーム公演が好きだ。外れないし(最重要)。しかし一方で、課金者だけが申し込める浪費家しか来ないK-POP並のチケット代のライブとかやってくれても良いんですよ?という気持ちが湧いてくる。チマチマとした数回分の遠征費やホテル代に貯金が吸いとられていくくらいであれば、いっそのこと考えなしにバカで、非道徳的で、打算的な金遣いをBUMPという最も似つかわしくないコンテンツでやれば、きっと私の精神はこれまでないくらい健康的なものになる気がする。そしていまだに楽しくロッキンに行けるような、無課金の界隈から「そんな金銭を払う奴だけが偉いようなライブなんて…」と指をさされて軽蔑されるような目で見て、それをツマミにビールを飲めたらどんなに幸せだろうと考えてしまう嫌な側面を持つ人間でもあるのだ、私は。

前回のツアーから期間も開かずに開催されたドームツアーだったこともあり、ライブを焦らされた感もなく、またアルバムツアーの割に前々回までのツアーで新曲は割と演奏してくれていたので、惰性とまでは行かないけど記念ライブのように心穏やかだった。

BUMP OF CHICKENの長い活動期間の中で、ずっと演奏されてこなかったレムがセットリスト固定だったことについて話をしたい。レムは2004年発売の「ユグドラシル」に収録されているいわゆるアルバム曲で、マイナー曲の部類なのだが、BUMPの中でも知名度があるアルバムであることと、収録順が「スノースマイル」と「fire sign」に挟まれていることから、ライトな層でも聞いたことある人も多いと思う。ただアコギの弾き語りがメインの曲のため、ライブ向きではない。ギターボーカルとギターの2人だけ舞台に残し、残りのリズム隊が袖に下がる光景はBUMPのライブでは想像できない。そのため今回ライブで演奏したレムは大幅アレンジが追加された新しいver.の形で披露された。ステージの演出はと言うと、アリーナ中央の小さな臨時ステージで、真っ暗な中メンバーを足元から照らすライト、後方のステージ上に設置された円盤が丸い輪を宙に浮かせ、それがカメラ越しに藤原基央の頭の上に重なることで形成された天使の輪、総じてホラー演出と言っても過言ではなかった。さらに、間奏部分でメンバー全員によるバンドサウンドアレンジが入り、一際異様な光景だった。何を見せられているんだという客観的な自分と、2024年のいま、メンバーのヘドバンを含んだバンドアレンジが入り蘇ったレムに対する喜びと感動を実感している自分と、複雑に入り混じって全ての感想を置いて「やばい」しか出てこない自分が悔しかった。20年前、青くて鋭い言葉を温かいアコギで包んだレムは、20年経ってバンドを引き連れ、リスナーにとどめを刺しに来たのだと思った。私が思っていたよりずっとレムは過激で二面性があり、いつでも私を殺せる位置でナイフを突きつけていた。それをまざまざと見せつけられた瞬間だった。

BUMPはたまに聞き手側の心情を嘲笑うような、突き放す歌詞の曲を作る。レム、キャラバン、あたりがそれだ。ただいずれも、HIP HOPのような高みに立つ相手から見下ろされる感覚はなく、まるでもう一人の自分から見られている感覚にさせてくる。藤原基央の言葉はいつも見透かしてくる。BUMPの歌は時代の評論も政治批判も無いからありがたい。仮に藤原基央SNSでお気持ち表明でもしようものなら、言葉が鋭利すぎて一撃で誰かの致命傷まで届いてしまう。もしくは炎上するキャンプファイヤーにガソリンを注いでしまう。俗物とかけ離れた存在で、いつでも人間についてのみ歌ってくれることに改めて感謝したくなった。

短いけど、もう思い出せないのでライブの感想はここまでにする。来年30周年なので、私はBUMP OF CHICKENとともに北海道から沖縄まで行きたい。そのために今年は貯金をするので、高いグッズはなるべく出さないでもらえると嬉しい。2026年の2月11日、空けとくのでチケットを用意してね。

拝啓、川島如恵留様

本日も生きているだけで偉い人間です。如恵留くんはいかがお過ごしでしょうか。ところで、生きてるだけで偉いという褒め言葉は、時に優しく寄り添い、時にとても頼りない言葉だと思います。大人になって他人から褒められることがめっきり減った日々の中で、同じ仕事をしていても賞賛される人間と誰からも感謝されない私の差は一体何なのだろうと考えると虚しく、何かにつけて自分と他人を比較しては、家に帰り私がリビングを一歩たりとも動かずに何も成し得ていない時間の中でも、他人は1つ2つやるべきことをやり、成果を出し、将来に繋がる投資を行っているのではと不安が絶え間なく湧き出ては息がしんどくなりどんどん動けなくなることがあります。はたまた自分の人生と引き換えに、自分の子供の人生の手引きを行なっている友人もいると考えると、私の人生の答え合わせが上手くいっていないような、正解からはみ出た無力感のようなものに飲み込まれていく心地です。そんな自分のことをどうにか正当化しようとするけど、全部意志の弱さを隠す言い訳に収束してしまって、結局やることを残して何もできずに睡眠不足のまま、次の日仕事に向かう私がいるのでした。でもその時比較する他人とは、やけに具体性を持っただけの幻想で、もしくはパラレルの自分かもしれないと考えたりもします。あの時こうしていれば、という魔法の言葉に一生囚われ暗中模索で五里霧中の人生ですし、もしかしたら他人はこんな心配もないのか、とまた存在しない他人を脳内で錬成し、自分を主観的に卑下する毎日です。そして、何を言っているんだ、自分は十分恵まれた環境にいるではないかと、普段見逃しがちな幸福に気付けたりします。でもその時の幸福は幸福の形をしておらず、自分のことを後ろから指さして否定する存在で登場してきます。幸福側もこんなふうに呼ばないでくれと思うし、どうせ呼ぶなら噛み締めて感謝されながら呼ばれたいよなと思います。そんな時、生きてるだけで偉いという褒め言葉のことが、みんなが当たり前にできることでしか褒めてもらえない自分が最低限手にすることができる無課金装備のような、鼻であしらうための言葉に聞こえてしまうことがありました。私の人生が、生きてて偉い、仕事に行って偉い、しか褒められない退屈な物に思えて、辛くて消えたくなることもありました。実際は消えないし、そんなことないし、1週間くらいしたら忘れるのに。

私が如恵留くんを知ったとき、魂が清く美しい人だと思いました。その認識は今も変わらないと思っていて、ダンスもボーカルも知識も、とてつもなく長い時間と引き換えに身につけた宝物をたくさん持ち、それを惜しみなく披露し、武器として身に纏う姿はアイドルという戦場を生き抜く王子様のように見えました。何事も貪欲に吸収し続けて、どんどん強く太く精強な姿になっていく如恵留くんを応援しながら、そんな如恵留くんが何故か出来ないことを一つ知ることが何よりも嬉しく、その分如恵留くんへの愛しさが大きくなるのを感じました。

↑私の大好きなTikTok。如恵留くん(一番後ろ)嘘だと言って。

2年くらい前、私の推しも活動を休止したことがありました。如恵留くんと同じグループの閑也くんです。閑也くんがお休みしてた時、たった一人のファンの力はなんて無力なんだと思い知りました。毎日小人の私が閑也くんの肩の上でどれだけ貴方の存在に救われたかを諄々と説き、24時間無休で彼の素晴らしいところや大好きなところを延々列挙し続けることで彼の心が癒えるならば、会社を休職してでもやらせてくれと思ったし、それが彼の救いになれないことも分かっていました。大切な推しが私と同じ時代に生きて、五体満足で健康でいてくれることがどれだけ尊くて儚いものかを知り、ファンという人間が推しの人生に作用しない存在であることを痛感しました。ちなみに私は推しが死ぬタイプのオタクなので、閑也くんがお休みした時も私のせいだと死ぬほど自責の念に駆られました。広い宇宙の中で推しと同じ星に生まれ、さらに推しが私と同じ時代を生きていて、おまけに健康で、しかもアイドルをやっていて、すごいことに私たちファンに向かって笑顔を見せてくれていることは、一見当たり前のように感じるかもしれないけど、多分ありえない奇跡の上で成り立っていることなのだと思います。確率で求めると、ドラマのガリレオの湯浅先生があのBGM中に書き終わらないくらいの数字になるはずです。ファンとアイドルは一生交わらない世界を生きる関係だし、私はそれでいいと思っています。ファンはアイドルに生かされ、アイドルはファンに支えられる、きっと片方がサトシで、片方がピカチュウのようなものなんでしょうね。何を言っているかわからなくなりそうなので話を戻します。閑也くんがお休みした時、トラジャの6人のことが本当に誇らしくて羨ましくて、何よりも愛しかったです。WODの決勝戦、私たちファンが思うよりずっとずっと重たい感情を抱えて、6人の中で6通りの閑也くんがいたのが見えました。嘘じゃないです。閑也くんを決勝に連れてきてくれて、7人で戦ってくれてありがとう。6人がいてくれたから閑也くんが戻って来れたとずっと思っています。如恵留くんにとってのトラジャの6人は、誇らしくて羨ましいでしょうか。きっと閑也くんがお休みした時よりもずっとずっと強くて頼れる6人に成長していると思っています。一番近くで見てきた如恵留くんだから、ファンが見えない6人の強さが見えてるんだろうな。

30歳ってしんどいですよね。私は人生の中で28歳~30歳が一番しんどかったです。でも30歳の時に行ったライブで、思い出したくもないような無くした2年間を、2時間の公演で救ってくれたライブがあって、その時に「私の好きなアーティストは、私が死んだら悲しいのだ」と気づきました。それでなんとか生き延びることができたと思っています。誰かの人生を救えるアーティストという職業がどんなに神がかりな仕事であるか、ただただ尊敬するばかりです。如恵留くんが救われたと感じてくれるようなアーティストはいますか。いたらとても嬉しいです。それにしても、アイドルという職業は昨今の転職市場と逆行した終身雇用の難しい職業だなと感じます。私たちサラリーマンは自分の働く環境を変えることができるし、たまにしんどいときは仕事をサボったりできるけど、アーティストとは知名度と引き換えに自由な働き方ができないガチガチの厳しいお仕事で、転職もサボりもできない実力社会の一発勝負で、どこの誰がこんな仕事に就いておまけに私たちファンに向けて笑いかけてくれるというんですか。もはや感謝通り越してだいぶ狂気の沙汰だなと思います。でも如恵留くんがそんな仕事を天職と呼んでくれているのを知っていますし、ひたすらに頭が下がります。だからこそ、ちょっと無理かもと思ったらアイドルだから休めないという考えは捨てて世間の人は割とめちゃサボってることを思い出して早急に休んでほしいし、なんならどんな職業でも休める世界に変えてほしいです(また無茶をさせるようなことを)。如恵留くん含めアイドルはみな完璧主義かもしれませんが、完璧な人間なんていないと誰しも分かりきってるくせに、偶像にはそれを求めているギャップがどうも許せないなと思うことがあります。清廉潔白な存在は、日常ではむしろ不気味がられるはずなのに、アイドルにはそうあってほしい、あるべきだと論じることは、やはりアイドルと私たちファンが混ざり合わない世界で生きているからで、お互い違う存在に見えているからかもしれないと思います。やはりサトシとピカチュウなのでしょうか。

最後に、先日公式のインスタに上げてくれていたショート動画で如恵留くんがずっと下を向いている姿がとても印象的で、胸が張り裂けそうでした。今までどんなときでもカメラの奥のファンの目を見てくれていた如恵留くんと目が合わないことが何よりショックで、法律が許してくれるなら仕事を辞めて今までの感謝を絶え間なく読経したいし、クラウドファンディングで超絶リッチな温泉旅館を1ヶ月貸し切って如恵留くんに使ってほしいです。如恵留くんの好きなタイプが「相手の目を見て話す人」だったから、人の目を見て話せるように練習したよ。話は変わるけど、私たちの育った時代って「目を見て話せ」と「ジロジロ目を見て話すな」で二極化してたよね。私の家は後者だったので、今はマイノリティになってしまいこのグローバル社会でめちゃくちゃ苦労してます。話を戻して、如恵留くんはいつもファンに愛を示してくれるのに、私たちファンは思いつく愛情表現の方法が下手すぎて自己嫌悪します。ファンが一生かけても払いきれない大きくて献身的な愛を振りまいてくれる如恵留くんにまた会いたい気持ちはそのままで、今は如恵留くんへの愛を自分の言葉で紡ぐことで少しずつ返済できるようにしたいです。

3月21日この日を私は確かめ生きる

藤原基央が結婚した時、地味にショックだったことは藤原基央のことを"人間"として認識しなければならなかったことで、ずっと神様だと思ってたかけがえのない唯一の崇高な存在が、結婚のために役所で書面の届出を行ったことが信じられず、そんな私が信じられなかったことをやった藤原基央がいることを無理やり納得させられなければいけなかったことだ。

それから時間が経ち、私はじんわりと藤原基央が人間味を浴びてきたのを実感し始めた。でも10年以上神様の姿をしていた存在が人間として話す言葉は、私の心を深く抉っては、傷の上から手を当てて温情の言葉をかけるように、ちぐはぐな優しさだった。神様の姿をした藤原基央に、私がどれだけ救われてきたかなど知らないまま、人間の藤原基央はファンの私に歌い、気遣い、手を振った。私はそれを一番残酷な優しさだと思った。今さら藤原基央意外の神様なんて見つかるわけがないのに神様でいてくれなくなった。藤原基央は元々人間だろうという質問があったとして、私は「彼は人間かもしれないが、神様が人の姿を借りて興味本位で人間の窮屈な生活を楽しんでみたような存在だった」と答えると思う。人間になってしまった彼と彼の音楽に振り落とされる訳にはいかないとBUMP OF CHICKENにしがみついて、感性の合わないツイートを全部遮断して、有料アプリの6,000円の年会費を正当化した。案外良いこともあった。私が思っていたより藤原基央はずっと人間の感覚を持っており、意外と自分勝手で、私の気持ちなど放って簡単に裏切るんだと割り切って考えられるようになった。依存から抜けて娯楽に昇華したような感じだった。

そして参加したライブ、16年前のリバイバルツアー『BUMP OF CHICKEN TOUR ホームシック衛星2024』では、私の座席とステージ上の藤原基央の延長線上、藤原基央の背後には大きなライトがあり、私の席からはライブ中ずっと藤原基央に後光が差していた。私が彫刻師ならきっとあの瞬間の藤原基央の菩薩像を彫っただろう。それ以外の芸術家だとしても、あの藤原基央の姿を作品に残したはずだ。途中、ライトの後光がまるで曇り空の隙間から太陽光が差す天使の梯子のように見えたもので、あんまりにも美しかったから途中からやはり彼は神様かもしれないと錯覚した。人間だけど私の神様で、命の支えで、短い人生の縋りだけど、勝手に書面上で結婚もして、チケットも当てさせてくれないくせに、それでも私は藤原基央に心臓を掴まれていないと生きた心地がしないのだ。藤原基央の作る歌を聴きたくて、藤原基央に会いたくて、ここまで生きた。彼と出会って18年目になった。そして一方の藤原基央は、私とライブ会場で待ち合わせをして会いに来る(※本人が本当にこう言った)。「大勢の中の1人ではない君に会いたかった」とステージ上から何度も何度も声をかけるので、いい加減「もう分かったから…!私に会いたいのはもう分かったから…!」と途中から半ばやけくそのような状態で彼からの重たい熱意を浴びていた。つまりは私と彼は相利共生の関係で、藤原基央にとっても私は神なのかもしれない?そうなると、私は彼に対してなんとも不誠実で、わがままで、文句ばっかり言ってるものだ。少なからず今までも、決して一方通行の信仰心だと思ったことはないが、彼の言う「会いたかった」は会場のキャパシティ分だけ等分されているような気がしていたのに、今回のライブで私自身も藤原基央の中のかけがえのない大切な人間だと認識したので、彼の「会いたかった」は等分ではなく倍増だと思った。「分かち合えるもんじゃないのなら二倍あればいい」という、2007年に彼が書いた歌詞の一文が腑に落ちた気がした。これを「愛してるよ」と受け取らねばファンが廃る。婚姻関係でもラブの関係でもないけど、私と藤原基央はお互いの生と幸を願う神同士ということで、神様を探し続けた私の悩みの旅は終わった。そういう関係で良いのだと思った。BUMP OF CHICKENのライブは八百万の神が集まる出雲大社のようだな。どうりで寿命が伸びる感覚があるはずだ。

藤原基央ガチ恋なのかと聞かれるとおそらくガチ恋に分類されるんだろうけど、なんとなく言葉に違和感がある。個人的に藤原基央への気持ちは恋でも嫉妬でも独占欲でもなく、私にとっての私だけの藤原基央の思い出があり、彼に憧れて一挙手一投足を追いかけた日々や、一緒に乗り越えた危機もあるので、彼は私の人生のバディのような存在であり、付き合いたいとか一緒にいたいとか俗に言うガチ恋に当てはまる感情は持ってなくて、でもそれを表せる上手い伝え方が無いので、=結婚と言っていた。今は、「藤原基央とは婚姻届よりも濃いもので繋がっています」と答えるようになった。とてもしっくりきている。

それにしても藤原基央はどんどん若返っているような気がする。16年前メーデーのMVの不健康さも、それはそれで好きだったんだけど、最近のライブやMVを見ていても40代前半とは思えない若々しさだ。そしてライブ中も序盤から中盤にかけて既に若返っているように見えた。終盤はフラフラだったけど、それでも30代と言われても疑問に思わない。一番若いのはギターのヒロくんだった。彼の永遠の新卒の新入社員みたいな出立ちはなぜなのか。やはり藤原基央から若返りの魔法か何かが出ており、身近で浴びていると老けないのかもしれない。とはいえ28周年を迎えたバンドメンバーも年季が入り、FLAME VAINの曲が上手すぎて聴き慣れたなんかおかしいリズムの原曲のほうが恋しくなったりした。

その日私は初めて生でアルエととっておきの唄を聴いた。とっておきの唄のことはずっと、藤原基央が私と結婚するときのプロポーズの曲だと思っていた。そのため、今回のライブで藤原基央に後光が差しまくるシチュエーションで、懐かしい歌と共に私に会いに来たとしつこいくらい語った後にこの歌をやるということは、これは私のための歌で、つまり私に会いたかったのはこの歌のためで、私のことが大切で藤原基央は私にビッグラブということでいいですよね。最適解を出してくるのはいつも藤原基央藤原基央が私に会いたすぎて困っている。愛してくれてありがとう。ハッピーハッピーハッピー

思い出まとめ

S席13,200円がやっと仕事した。アリーナ9列でBUMPのライブで一番近かったかもしれない。メンバーが人間の姿をしていた。広島は人生の聖地。人生のパワースポット。

BUMPは早よFC作れ。28周年のバンドなのにライブに来てるファンが私より若い子が多いのおかしいんよ。早よ往年のファンに寄り添え。若い子もBUMP聴くな、もっと若々しいバンドにしろ。バンドと共にファンも年取れ。みんな老けろ。もしかして藤原基央が若返ってるのは若いファンから生気を吸い取ってる?誰が老け顔や。

花の名の歌詞変えがすごすぎた。変わりすぎて原型がなかった。古川本舗のライブのアレンジが酷すぎて一緒に歌えないのとは違うレベルだった。歌詞が違うからそもそも歌えない。花の名は一緒に歌う曲じゃないけど。この広島公演の花の名を私は一生擦り続ける。

花の名

花の名

この日はやたら藤原基央の感情が爆発しており、才悩人応援歌の間奏後の「隣人は立派」から今まで見た中で一番爆発してた。末代まで擦り続ける。
才悩人応援歌

才悩人応援歌

アルエを今回のツアーでやる意味。わからん。高校生の私が成仏した。最高すぎる。聴けると思ってなかったのでイントロで判断できず「これは…まさかとは思うがアルエ…?」の時間が体感10分だった。綾波レイへの愛の歌を44歳になってステージ上で歌う気持ちはどうだ藤原基央。私はとても嬉しかったぞ。
アルエ

アルエ

飴玉の唄、いい、最高だ…これが聴きたかった。私の神様が神様に向けた歌を歌っている。orbital periodの中で飴玉の唄とarrowsは対になると思ってて、飴玉は生前で、arrowsは死後、または飴玉は別れでarrowsは出会いのように、同時に存在しない物で、その2曲をカルマで分かつアルバムの順番が本当に見事だと思ってる。だからツアーでやるなら飴玉とarrowsは別日だなとぼんやり思っていた。やっぱりそうだった。でもarrowsは幕張で聴いたからな(※音漏れ)。
飴玉の唄

飴玉の唄

voyger→flybyの繋ぎ新パートなに?えぐすぎる。まじで良すぎる。OpeningとEndingが後日プレゼントという曲になったから、 voygerとflybyもツアー最終日に新録で1曲の新曲発表とかあったら嬉しいな。だがだいたいBUMPの発表あったら嬉しいなは叶わん。
voyager

voyager

flyby

flyby

望遠のマーチ大好きなんよな。ポケモンのアカシアの歌詞がポケモンという語句を使わずにポケモンを表してるとよく話題になるけど、私は望遠のマーチが妖怪ウォッチのタイアップなのも大正解藤原基央だと思ってる。「秒針はそこを示して止まっている」「死んだような今日だって死なないで叫んでいる」「繰り返す今日だって今日だって叫んでいる」あたりが特に妖怪ウォッチ(時計)とジバニャン(成仏できない地縛霊)とケータくん(日常アニメの主人公)を描いてると思うし、「足音の隙間、何か落ちる音」はホラーだし、一方でシンプルにしんどい人間の反撃のような曲ともとれるので、聞き手によって解釈がある曲だと思ってる。あと間奏での藤原基央のエモ語りタイムが確定演出なのも激アツである。ラスサビで「絶望、希望」と絶望から歌が始まるのもいいよね。
望遠のマーチ

望遠のマーチ

とっておきの唄…いやとっておきの唄をやるかぁ…。そんなに私に聞かせたかったからぁ…そんなことされちゃ好きが更新するし、結婚記念日なんてなんぼあってもいいよね。改めていい唄だな…。犬飼わなきゃ。
とっておきの唄

とっておきの唄

NiziUと好きな音楽について

推しはたくさんいるに越したことないタイプなので、最近は新規のジャンルにも裾野を広げて意図的に好きなものが増えるようにしています。最近増えた推しの話を書きます。

NiziUの話

元々NiziUの中で知ってたメンバーは、福岡出身のマコちゃんと、Zeebraの娘のリマちゃんと、ビジュ担のミイヒちゃんだった。元々TWICEが好きで事務所のJYPと社長に対してポジティブなイメージはあったけど、上記3人以外のメンバーは全然知らなかったので、福岡出身の私は「まぁ福岡の子がおったら絶対応援せんとやろ」と深く考えず、最初の推しはマコちゃんだった。ある日たまたまNiziUのダンス動画を見たときに、9人の中で1人めちゃくちゃ目が合うし目で追っちゃう子がいて、その子がリオちゃんだった。リオちゃんのダンスはキレとグルーブのメリハリが気持ち良くて見てて綺麗だし楽しい。歌声も聴き分けやすくて可愛い。あと関連動画でリオちゃんがすごく元気が出る声で爆笑してるのを見て、「めちゃくちゃ好きなタイプの子おるな…」と認識したのがきっかけだった。いざ満を持して虹プロ(NiziUのオーディション番組)を見ると、地方オーディションの頃のリオちゃんは髪をオールバックでまとめたクールビューティー風なイメージで、服のコーディネートもとても似合ってて、「デビュー前でこんな自己プロデュースできる子おるんや…」と初めからめちゃくちゃ良い印象しかなかった(※この時点でリオちゃんに落ちている)。リオちゃんの力強い目と、緊張してはにかんでるときの等身大なリアクションのギャップがたまらなく可愛くて、この子デビューしてほしい〜〜〜!デビューしてて良かった〜〜〜〜!!の安心感を得ながらオーディションを全編見た。結果ずっと号泣。(以下読まなくていいです)(令和5年に言うのも遅いけど最後12人でデビューしても良かったじゃん??アカリちゃんを推させろ。私が思う3人のメンカラはアカリが真紅か赤紫で、ユナは黄緑で、リリアはネイビーか黒かな…。最終ステージ、マコチームの虹の向こうへ最高だった。2日に一回くらいのペースでYouTubeで再生してます。話が変わるけど、私はオーディション番組は結果がわかってから見るタイプで、生で追うと万が一推しになった子が落ちたらと思うと怖くて見れない。デビュー前追うのはとにかくメンタルがしんどいのでトラジャで最後にしたい。TWICEのオーディション番組のSIXTEENも、モモちゃんが最後デビューするって分かってなきゃ見れないくらい本当にきつい…。SIXTEENに出てたチェリョンがITZYでデビューできて本当に良かった。長くなるからこの辺にしときます。もし話が合う人いたら、今度長電話か居酒屋で話しましょう。)

NiziUの、王道ガールズグループなキュートな世界観にオシャレでカッコいい曲が多いところがめちゃくちゃ刺さる。TWICEは可愛い路線をベースに、SIGNAL、LIKEY、FANCYとか電波系や毒っ気な路線もハマるとこが最高に好きなので、NiziUも同じルート歩んでて今後どんな風に曲が豊かになっていくのかすごく楽しみ。リオちゃん可愛い。

(あと、先月末に当選してたリオちゃんの個人サイン会は結局キャンセルした。軽率な行動で申し込んでしまったのを深く後悔している…。サイン会が近づいてくるにつれて、アイドルの視界に入っていいのか、自分が会っていいのか悩みまくり、NiziUのライブにも行ってないのに初めて生でリオちゃん見るのがサイン会なのはファンとしてなんかダメだなと思って行けなかった。認知がいらないとかの次元ではなく、リオちゃんの中で10秒でも30秒でも私と1対1になる時間ができてしまうのがもうダメで、「じゃあお前今まで散々握手会行ってきた水石亜飛夢さんはどうなんだよ?」という意見はごもっともなんだけど、亜飛夢くんはFCも入ってて名前が入った年賀状も貰っててファンとの距離が近かったから目を合わせて頑張ってねが言いやすかったのもあったけど、私はまだリオちゃんと私のアイドル⇔ファンの心と心の交信を行えてないのでこれは違う〜〜!と思ったからリオちゃんとの出会いはきっとまだ先になります。)

好きな音楽の話

学生当時はKARAや東方神起K-POPブームだったけど、私は大人になってからの方がK-POPを聞いてて、男性グループよりも女性グループをメインで広く浅く追ってる。男性グループはどうしてもこっち見るならトラジャの再生回数回さなきゃと思ってMVやサブスクすら再生しないんだけど、女性グループはみんな可愛いから全然聴く。最近だとTWICEやNiziUと同じJYPのVCHAがハイスクールミュージカルぽさあってハマり気味。あとは1年くらいBilllieを推してて、歌って踊れるけどスタイルがガリガリではなく割と筋肉ガッチリめなメンバー多くて精神衛生的にも良いとこが好き。本当にアイドルには栄養豊富なご飯と十分な睡眠時間を摂取してほしい。これはアイドルオタクみんなの総意と思ってる。

中学生から大人になるまでの青春時代にロックバンドを聴いていた人間あるあるだと思うんだけど、学生の頃はアイドルソングがランキングチャートを占めているのを見てケッと思ってしまっていたところがあって、理由は音楽でシンプルに勝負をしているバンドと、ビジュアル+ダンス+音楽で数字を取ってるアイドルやダンスグループを比べると前者の方が音楽的に「偉い」と思っていたから。例えるならAという品物を一から作る会社と、Bという品物をいろんな代理店を通して作る会社ではAのほうがより作り手の思いが乗るだろうという考えだった。私は今はこれは違うと思っているし、アイドルの仕事は曲の販促活動ではなくその先の客をいかに喜ばせるかだと思ってるので、本当はバンドとアイドルでは売ってるものが違うので市場は分けるべきと思うんだけど、一概に「1曲の売り上げ」で見た結果ではアイドル>バンドになることが多いので、5万枚も売れないバンドの曲は作品として価値が低いと言われた気になっていた。〇〇のほうがいい曲作ってるのに…と「ランキング」への怒りが次第に上位のアイドルに対する怒りに変わってしまって、アイドルというジャンル自体の印象もあんまり良くは無かったんだけど、いざ自分がアイドルオタクになると、アイドルの曲って元気になるスイッチが入る感じが本当に新鮮だなと思う。どっちかと言うとアニソン聴いてる感覚と近くて、曲単体だとそりゃ好きなバンドの曲の方が私の日常にハマってる感じはするのに、アイドルの曲やアニソンはイントロ流れると「これこれ〜!!」って自分の中のギアが一段上がる感じ、不思議だけど理解できると楽しい。アイドルソングで「曲がいい」と言われても、正直推してるバンドの曲の良さとは聴くべきところが違うと思ってるので、メロディや歌詞だとバンドの曲に軍配が上がるんだけど、それでも元気になりたいがためにアイドルソングを聴くし、結局私もしょっちゅう「曲がいい」と言ってる。個人的に曲がいいと思う推しアイドルソング紹介させてください(このブログのメイン)

この曲が好きすぎて聴いた瞬間泣いた。2022年の紅白のパフォーマンスのために受信料払ったと言っても過言では無い。TWICEしか経済回さん…!!勝たん…!!!!!!

強い可愛い踊れる最強最高〜〜〜〜曲がまじでいい

ツインテのツキちゃんがチッケム(定点カメラ)1300万再生したやつも見て欲しい。めちゃくちゃ曲がいい。

XGはKPOPじゃなくてヒップホップとR&Bと思ってるけど貼る。曲が天才。ビジュ完璧すぎる。

かわいい。ディ◯ニーチャンネルみたいなビデオのコンセプトも良すぎる。まじで曲がいい。

パフォーマンスビデオ多めなのは私が好きだからです。「聴いたよ」とか「知ってるよ」とか言ってもらえたら泣くほど喜びます。

(追記)TWICEで一番好きなHeart Shakerをアカリちゃんが踊ってくれてた〜〜〜〜あぁ^〜〜生きてるうちにアカリちゃんのHeart Shakerが見れるなんて〜〜〜〜大優勝すぎるありがとうアカリちゃん神様ありがとう〜〜推させろ

正しさとは 推し活とは

オタ活って難しいよね。

今まで通ってきたジャンルとは異なるコンテンツに触れる機会が増えて、オタクとして正しいオタ活って何なんだろうと考えるようになった。

たまーにTwitterとかで書いてるけど、私は「推し至上主義」な考えなので、推しの一挙手一投足を褒め、あらゆる行為を全肯定するタイプだと思う。

BUMP OF CHICKENに対して、いやアンコールのセトリ4公演中3公演被りは酷いやろ、と一旦は言うけど、それでも私をembraceほぼ確定演出女にしてくれたことに感謝している。もう今後ライブでembraceが来ても一切叫ばない自信がある。一生分を浴びた。そもそもembrace自体が今までほとんど演奏してこなかった曲なのに、なんで1つのツアーでポンポンやるのか分からない。分からないけど藤原基央の中で2023年はembraceで、そして2023年の私のテーマソングはembraceだったんだろうな。いい歌なのでBUMP知らない人も是非。

‎BUMP OF CHICKENの"embrace"をApple Musicで

embrace

embrace

推してるJアイドルもKポアイドルも年下で保護対象という認識なので、誹謗中傷なんて爪剥がされてでもできない。何やっても推さなきゃオタクじゃないとか、そういう使命感があるというわけではなく、こちらが一方的に推させていただいているので頼むから一日でも長くアイドルでいてくれれば…、というヨイショの感情に近い。年上はバンドでしか推したことないから分からないのかもしれないけど、綺麗な顔の人間が自分を偽って見ず知らずの人間に笑顔を振り撒く仕事をしている人に、どんな職業の人間にも石を投げる資格はないと私は思っている。

でも私も最近は周りのファンとの温度差に戸惑うこともある。BUMPの公式アプリで有料会員コースが設けられたとき、私はやっとBUMPにFCができて嬉しいと思ったけど、Twitterで一部の人間が「ファンを区別してほしくない」とか、「FCを作らないスタンスを貫いて欲しかった」とか、あれこれ呟いているのを目にして、お前は何を言っとんのかと思った。そんな人間がライブに来とんのか、と。私はもうBUMPに対するありがとうは一生分言い尽くしてしまって、今は来世分のありがとうを伝えてる気でいるので、金で感謝を伝えられるのがとても嬉しいしありがたい。合法で金を振り込ませてもらい、さらにFCも入らせてもらえるなんて画期的やん。ライブなんて綺麗事じゃ入場できんのよ。箱に入れた人間が"勝ち"で、入れなかった人間は"負け"なんよ。FCを作らないスタンスに憧れを抱いたのであればFC入る入らないは勝手にすればいいけど、文句言うのは違くない??こういう温度差に苦しみながら、でも「BUMPってファンの民度高いよね〜」みたいな内輪ヨシヨシが気持ち悪すぎて無駄に界隈への反抗心が育ってしまっている。うっせぇわ〜〜〜〜!!!!!ボーナスぶっこむから重課金者限定のライブやれよ。どうせ厄介オタクなのは重々分かっとるんよ。

あとこれは別の意見だけど、昨日はRADWIMPSのライブに行き、初めてライブハウス規模でRADを見た。確かに今まで行ったどんなコンサートよりも近かったけど、ふと「もっとたくさんの人から愛されている洋次郎が好きだな」と思ってしまった。アリーナ満員のファンから一方的に向けられた愛を受け、客席に返してくれる人間離れした野田洋次郎を私が見たいのであって、ライブハウスの規模だと完全に野田洋次郎1人に会場が飲まれて客の数が足りなさすぎた。東リベのマイキーが「200人?俺を誰だと思ってる?20000人連れてこい!」みたいなこと言ってたけど、野田洋次郎も完全にソレだった。客側にハンデがほしかった。ライブとは近ければいいというものでもないなと知ったけど、でももし20代の若いときだったらそうは思わなかったかもしれない。年齢によって受け取り方が変わってくると思うと、その年で満足できる推し活なんてレアだよね。

そう考えると、数年前に人生捧げるくらい推してたソシャゲでは、推しは熱愛しないし、いつ見てもビジュは大優勝してるし、ファンサは全員に平等だし、推し個人としては1番優秀なんじゃ…とも思う。ただ身も蓋もないことを言うと、脚本家によってキャラがブレたり、運営からガチャやイベの売上によって明らかに人気差別されたりするので、何に対してもメリットとデメリットってあるよね。

認知の要否でもファンそれぞれで、私はファンサは欲しくて認知はいらないタイプだけど、でも認知をもらってこそ自分の推し活と思う人間もいて、「私がこうしたい」は「だから周りは間違ってる」とはイコールにならないと理解してるはずなのに、そこの引き際というか開き直りが本当に難しいし、集団から外れると疎外感を味わって集団と見なされることに嫌悪し始めて、気づけば界隈から離れて熱が冷めてしまったりする。界隈に属するということは、いろんな人がいろんな入浴剤を勝手に入れるスーパー銭湯のデカいぬるま湯に浸かり続けるようなことで、他人の入浴剤の匂いが嫌い!人がいっぱいいてストレス!と感じてしまう人は、小さな自分の家の風呂に自分で湯を沸かして自分で入浴剤を入れて、たまに熱しすぎたり冷めてしまったりするけど、それでも心身を癒されるために入り続けることが界隈に属さない推し活なのかなと思ったりする。他人の入れた入浴剤に浸かってもストレスじゃなければ、そこはまだ「属せる」界隈なんだと思う。

でも年々と自分の趣味に対するこだわりが凝り固まってきているのは確かで、ほんの7〜8年前までは「オタク同士でルームシェアしたい!オタクのための老人ホームに入りたい!」なんて本気で思ってたけど、今は自分の趣味に他人に土足で入ってきてほしくないと思うし、オフに人と会うことの煩わしさのほうが勝ってしまっている。引きこもりたい…引きこもりたい…(汚いライオン)

ライオン

ライオン

 

色々と書いたけど、でも推しは世界で1番慈しまれるべき存在で、どこに出しても恥ずかしくない自慢の推しが雑に扱われたり客寄せパンダにされたりすると私も黙ってないよ😃推しに石投げるのは分かんないけど運営に石投げるのは全然いいと思うよ😃(事務所のことを運営と呼ぶな)。

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急に自分の話をするけど、30過ぎて20代の頃とは違うタイプの生きづらさってあるよね。

20代後半の私は、社会人として得た給料を自分の欲を満たす活動に投げ打ってて、それはそれは本当にとても楽しかった。心の支えが何個もあって、コンテンツの消費が休日だけでは終わらないくらい忙しくて生活が充実してた。前の会社は半分肉体労働だったので、私もまだ体力があり、ライブ終わりに終電で帰宅しても翌朝ピンピンして肌もピッチピチだった。※なお、終電と言っても茨城方面への終電なので0時前には帰り着きます。

転機はコロナと、藤原基央の結婚と、BUMPのベース活動休止なのは確実で、私が必死に信仰してきた年数なんてお構いなしに藤原基央は割と自分勝手だし、音楽業界とイベント業界に浴びせられる罵声やら藤原基央への結婚祝福コメントやら芸能人の不倫に対する学級会やらのコンボで、私はこの世からの疎外感を嫌と言うほど思い知った。神に全幅の信頼を寄せてはダメだと学んだし、自分の機嫌を自分でコントロールできるようになるという意味で、大人にならなきゃなとも思った。

20代で、心が子供なまま、自分では何も動かずに他力本願で何かの慈善事業が救ってくれるのを口開けて待ってるような汚いゴミが最終形態だった。本当に毎日夜になると死にたくなるよね。台所にうずくまって何もできない日が続いたり、枕元の充電コードが首に巻き付いて翌朝冷たくなってればいいと毎晩思ったりしてた。しんどかった〜

30代に突入した今現在は、色々な諦めからくる謎の悟りのターンに入ったまま、別に抜け出したいとも思わずにダラダラと日々を浪費している。かわいい服買いたい、いい化粧品買いたい、たくさん寝たい、の欲を順ぐりに消費させて「でもこんな酷い世界で生きてる私は偉いんだ」と謎に強気な開き直りで自分を納得させてる。周囲の人間が立派な社会活動やら結婚生活やら子育てやらめちゃくちゃ頑張ってるのをすごいな〜と心から尊敬しながら、それでも今の私が生きててダメな存在か?というとそうではない気がして、なんだかんだ30年生きてきて今が一番楽しい気がしてる。自己暗示でそう思ってるだけかもしれないけど、20代後半でゴロゴロ転がるように沈んでいった感情が30代直前で行ったBUMPの25周年幕張メッセで救われたし、結局私はBUMP OF CHICKENに生かされてるんだなと再認識してから、なにか吹っ切れたように他人のことがどうでもよくなった。相変わらず自分のことはめちゃくちゃ醜いと思うけど、醜いけど嫌いではないと思うようになった。なので今が1番生きてて楽しい。藤原基央へ、等価交換だ。私の人生全部あげるから、28周年ライブのチケットください。

推しと一生目が合わない呪い

アリーナトロッコの一列目って角度あるから意外と見えてないんだと知った。

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ライブ終わりに多幸感に浸りながら新幹線でネイルシールを剥いでる女です。

今日は名古屋の日本ガイシホールTravis Japanのデビューコンサートに行ってきました。トラジャ担になってトラジャに会うのは去年の虎者以来2度目です。(過去ブログ参照)

2次元&2.5次元オタクがジャニーズの舞台に行った話 - 長文語り

今日のライブで私は大号泣しました。その理由をちょっとだけ長くなるけど書かせてほしい。

私にとっての自慢の推しである吉澤閑也くんは、トラジャ渡米修行中に足のケガと体調不良で一時休養を経て、現在復帰しデビューした。トラジャ公式YouTubeには療養期間中に閑也くん抜きで撮られた動画がいくつか上がってる。その中の一つに、ダンスの世界大会WOD (World of Dance)の本戦パフォーマンス動画がある。

トラジャはもちろん箱で好きなんだけど、それでもTravis Japanという最高のグループが、閑也くんがいないプログラムで世界的に評価されて、世界9位を獲ったことは言葉に表せない複雑さだった。他のメンバー6人は私以上に閑也くんのことが大事で、大切な仲間だとパフォーマンスで訴えてくれてたこともちゃんと分かってたけど、それでも「もし閑也くんがいたら?」とか、「閑也くんは足が治っててもこれに出たかったのか?」とか、考えてもどうしようもないことがずっと頭をよぎってしまい、満面の両手放しではこの動画を見ることができなかった。

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↑悲しみに溢れる当時のツイート

また、「もしかしたら閑也くんの足の怪我はオタクが思うよりずっと深刻で、このプログラムで踊るのは無理なのかもしれない」とも思ったし、「夢ハリ(オリ曲)の間奏がタップダンスではなくなったのも閑也くんの足がタップが踏めなくなってしまったのかもしれない」とも思った。

足の怪我の完治が何よりの願いで、推しの五体満足がこの上ない奇跡の連続で成り立っていることを痛感した。

 

元々閑也くんはアイドルに珍しいくらいナイーブで、言葉を選びすぎて思ってることが言えてないくらい繊細な子だな、という印象だった。

近所の友達の弟みたいな、話は特別上手くないけど、親しみやすくて飾らない雰囲気が魅力で、字が汚めで、そんな字で一生懸命書いたみんなのダンスのポジショニングのメモがたまらなく愛しくて、気づけば閑也くんを応援していた。

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バンザイパートかわいすぎんか??

そんな閑也くんは渡米修行直前に彼女がいるのがスキャンダルされ、鎮火しないまま日本を離れたので左遷だの逃亡だのネットで言われてるのを何回も見た。

正直アイドルとして彼の姿勢は良くはなかったけど、4年付き合ってるらしいので私よりも付き合いが長いため私は口を噤んだ。私は歴史でオタクを判断するので、どんなに深く愛しても古参には勝てないとする派閥に属している。歴が浅いオタクがどんなに金を積んでも共に歩んだ時間は買えないので。むしろ彼女さん閑也を支えてくれてありがとうの気持ち。彼女持ち歴はオタク歴ではないけど。

そのため、あんなにメンタルよわよわでほわほわの閑也くんがバッシングされたまま、足の怪我もある中で住む環境を変えるなんて、もうオタクは考えただけでも頭痛くなる。結果、閑也くんは渡米中に一時休養を選択し、WODの世界大会にも、お誕生日のSNSにも居なかった。本当にこういうとき何もできないオタクの非力さを嘆いた。休養を選択してくれただけでも良かったと思った。

だから、もう今後7人で見ることは出来ないのかもしれないと諦めてたWODのプログラムだけど、今日のデビューコンで「来てくださっている皆さまへ」と、閑也くんがいる7人全員でWODの本戦プログラムを全く同じ振り付けで特別に踊ってくれた。

私がYouTubeで見てたあのプログラムは閑也くん抜きの6人だったけど、でももし閑也くんがいるならここはこう踊るだろうな、ここはきっと笑顔で踊ってくれるだろうな、と自分の脳内でトラジャ7人のWODステージを見ていた。そしてそのステージに今日本当に閑也くんがいた。会場はWODではなかったけど、7人のパフォーマンスはやっぱり見栄えが段違いで、Travis Japanがこれを形に残したいと思ってくれたことが本当に嬉しかった。寂しく思いながら何度も見たあの動画を、これからは今日の記憶だけで思い出し泣きする動画に変えてくれた。もしかしたらまだ足の痛みはあったかもしれないけど、それを全く感じさせずに閑也くんはちゃんと完璧に踊れていた。

推しが五体満足で良かった。アイドルを続けてくれて、トラジャに居続けてくれて本当に良かった。これ以上は絶対に無いデビューコンサートだった。そして大号泣する私の隣で冷静でいてくれたしめ担のお友達、まじで私に人権を与えてくれてありがとう。友達のおかげで人の姿を保てていた。

そして夢ハリのタップダンスも復活した。閑也くんの足がタップを踏めている。良かった…と思ったら泣いてた。

泣き顔がブサイクすぎるので、閑也くんお願いだから私を見ないで力作のうちわだけ見てくれ、と思ってたけどうちわも見てくれなかった。でも望みすぎて全部叶ってしまったら私の中のトラジャ=デビューコンサートになってしまうので、これから先も末長く今日のパフォーマンスを上回ってほしい。

そしてついでに力作のうちわも見てほしい。

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『松倉くんが描いた閑也』のうちわ(トラジャYouTubeより)

思えば私は推しと一生目が合わない呪いかもしれんな、と思った。藤原基央とか、岩本照とか、神崎颯馬とか。今まで見てくれた人はキラメイジャー素顔公演の押切時雨さんもとい水石亜飛夢さんだけである。でもそんな人生でも次こそはと向上心を与えてくれて良いと思える幸せなオタ活でありたいし、今日は間違いなくそうだった。

コンサート前日に熱田神宮で健康長寿御守りを買い、閑也くんのアクスタと一緒に入れてたら今日のこれだったので、熱田神宮には全てまるっとお見通しだった…。すごすぎん…?名古屋バンザイパート…。

ブログに出てきた動画たちはこちらから↓↓

閑也くんのいないWOD

閑也くんの殴り書きメモが見れる童謡ダンス↑

天才画伯松倉海斗様↑