爆豪勝己の魅力とは
「強さに憧れるシンプルな少年の心」と「弱者を見捨てる非情な自尊心」が、
文武両道で才能溢れる16歳の身体に宿っていて
そんな複雑な彼を「未完成さ」という不安定で危ういものが丸っと覆っているような、 そんなところだと私は思っていました。
「自分が正しい」という絶対的な自信に裏付けられた彼の言動は、 まるで「我が儘」という言葉そのもので
それくらい、ザ・典型的悪役で清々しいほどギラギラに尖っているけれども、目的はいたってシンプルな彼が本当にかっこよく見えて連載当初からファンでした。
さて、今週の166話のとあるシーンで、 ひねくれた問題児の面倒を見ることになった彼は、 そのリーダー格の男の子に対してこう言います。
「いつまでも見下したままじゃ 自分の弱さに気付けねェぞ」
そしてそのあと
「先輩からのアドバイスだ 覚えとけ」
と付け加えました。
たった2つの短いセリフですが、 以前の彼なら言うはずがないほど角が取れて丸くなってしまった言 葉です。この言葉を他者に対して言えるようになるまで、 彼がどれほど自分の中で暗中模索していたのかを想像すると鼻の奥 がツーンとしてくるのですが、
このシーンでわかることは、要するにかっちゃんは「 他人を見下していた自分の弱さ」に気付くことがあった、 ということです。
と、地元じゃ負け知らずだった順風満帆な生い立ちと対照的に、 今まで味わわなかったであろう挫折のオンパレードでした。
またかっちゃんは、 幼なじみで無個性のデクを長いこと自分より下だと確定づけてきた ために、デクの優れている部分を認めようとせず、 彼が自分より上に立とうとしたり、 彼から協力を求められたらしたときには、 己を見失うほど激昂する傾向がありました。
ですが今回、
「他人を見下していた自分の弱さに気付いた」ということは、 つまり言い換えると
「今まで見下していた他人の強さを認めた」ことになります。
己を特別とし、他を蹴落とす者としてみなしてきた彼が、 ここに来て周囲の実力を認め、 自尊心による利己的な価値観に変化を見せたのです。
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人間であった時、己は努めて人との交を避けた。 人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、 それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。 勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、 自尊心が無かったとは云わない。しかし、 それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。
己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、 求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。 かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。 共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。
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このとき彼が怯えていたのは「デクが持つ未知の可能性」の他に「 雄英で1番になれない、見下していたデクに敵わない、 という自尊心の崩壊」 も理由にあったんじゃないかなぁと思います。
あるいは、格ゲーのように敵を攻略していくのが好きな賢い彼ですので、態度で示さないにしろ頭のどこかでは自分の弱さ(身体的なものか精神的なものかは分かりませんが)を認めざるを得ない状況があったのではないかとも思えます。
話が逸れたので戻しますと、 今現在かっちゃんは仮免試験官のギャングオルカから不合格の要因 である「他者に対する不遜な振る舞い」を指摘されましたが、
今回読者が見た「自分の弱さに気付いた」爆豪勝己は「 他人を認める」ことも徐々に出来るようになってきているため、
結果として、 将来ヒーローになったときに手を差し伸べなければならない市民や 同業者に対しての接し方や精神のあり方なども既に学びつつあるの だと感じました。
まとめますと、ヒーローを志望する爆豪勝己は少しずつですが、 ヒーローが何たるかという持論以外にも、 その職業ゆえの必要な精神論・ 倫理観を汲めるようになってきており、 確実に連載当初と比べて大人になっているのだと読み取ることがで きました。
これによりかっちゃん闇落ち説は完全に無に帰したと確信でき、 安心して彼の将来を応援することができるようになったので私としては大変喜 ばしいことです。
ありがとうヒロアカ、今週は1番でアンケを出すよ。 映画ももちろん観に行くで。