「ベイビーアイラブユーだぜ」はもう確信犯でーーーーーーす!ごちそうさまでしたーーーーー!!!!!「藤原基央、結構して子供いる説」はほぼ確定しましたもうわかりました!!!!!!やめて!!!!!!
もはや隠す気ないでしょこれ。この気持ちすっごい例えづらいんだけど、お父さんが再婚するような気分ですかね?お父さん再婚したことないけど。
最高に最高に大好きな藤原基央の「ベイビー」は私じゃなかったんだぜ!知ってたんだぜ!
そんな惚気を最高のメロディに乗せて突き付けられたオタクの気持ち分かって?感情が巡り巡って一周回って今ガンジーもびっくりの悟りの境地ですわ。むしろ晴れ晴れとした顔で親指を立てて溶鉱炉に沈んでいくなうですわ。オタクってめんどくさいよね。
先日投稿した拗らせたブログを読み返して、ふと思うことがあったため、懲りずにまたブログを書きました。
上記記事内で、私は『藤原基央はもうユグドラシルやorbitalperiod期のような歌詞でさえ描けなくなってるのではと思った。描かないよりも、描けないの方が近いと感じる。』と書いたのだが、
ここで「おや?」と気づいたことは、
そもそも、彼の書く詞や作るメロディに、なんとなく「違うな」と思う感覚を抱く原因とは、
『成長した藤原基央』にあるのか、
『成長した私』にあるのか、という疑問だ。
「藤原基央、結婚して子供いる説」の話になるが、「話がしたいよ」があまりにも生々しすぎて、これまでと違うと感じた理由は、
今まで藤原基央は『一人一人が持つ「孤独」に寄り添い、代弁する理解者』というような表現者だった気がするが、
「話をしたいよ」は明らかに『「藤原基央」の歌』なのだ。藤原基央39歳が見つめ、素直に感じた風景と心情の歌なのだ。
「太陽」のような、「supernova」のような、人間が持つ心の根底を優しくすくい上げ、陽のもとに晒すような歌ではない。「シンプルに、今、藤原基央が伝えたいこと」が「話がしたいよ」という曲だったんだと思う。
藤原基央の詞の怖いところは、人が抱くモヤモヤ、ざわざわ、ドロドロとした、いろんな色の水に、彼の言葉がぽんと石を投げるとその水が澄んで底を映し出す。そんな、人によって異なるありのままを、彼の言葉は恐ろしく普遍的に紡ぐ。
だがすると、「supernova」は「当時の藤原基央」が見つめていた素直な世界の描写ではないのか?と逆説的な疑問が湧く。思うに、「supernova」も間違いなく「当時の藤原基央」が見つめ、思い、感じた世界であることは間違いないと思うけれど、その感情は民衆のものをかき集めたものだった。
人民の代弁者であった藤原基央は、今回「話がしたいよ」で、自分について歌ったのだ。よって、これは私に寄り添う歌ではないし、不特定多数の人間のための歌ではない。
私は藤原基央ではないし、彼と同じ心情の変化・成長を追うはずがない。このギャップが、今回の違和感なんだろうと思う。
ここ最近の彼の生む作品に抱く印象としては、「かっこつけるのに疲れた」というか「こんな曲もアリなんじゃない?」というような、アーティスト藤原基央の作品ではなく、39歳のシンガーソングライターが書いたような曲ばかりということだ。
練って練って必死に考え吐き出した言葉ではない、ぽろっと口から出てきたような簡単な感情をさらけ出すことに抵抗がなくなったような感じがした、とも言える。
曲から照れくささが垣間見えつつ、でも今をとても楽しんでいる、そんな藤原基央が見えてしまうのだ。
それがまぁ、「年を取る」ということなのかなぁ…、というのが、オールオブ私の感想です。このブログはこれ以降読む意味はありません。よっぽど暇な人か、私の語りに付き合ってくれる心の莫大な人だけ読んでください。
《追記》
ここまで書いといて「結婚して子供いる説」の根拠が述べられてないことに気づきました。修士の学位を返還させてください。
なんで「結婚&子供」だと思うのかについての理由は複数あります。
①曲のフレーズのそれとない匂わせ
②新曲スパンが短くなった
①については、ここ2年間の曲でこじつけるならば、
「笑うから鏡のように涙がこぼれたよ 一度でも心の奥が繋がった気がしたよ(アリア)」
「小さな肩 震える今 それでも笑った(アンサー)」
「嵐の中をここまで来たんだ カウントからせーので息を読みあって 泣いたり笑ったりの全部で(リボン)」
他にも「記念撮影(タイトルで察しろ)」「望遠のマーチ(キッズに人気妖怪ウォッチ)」「ベイビーアイラブユーだぜ(せめて上手く隠せ)」等々、重箱の隅をつつくような疑惑を上げればキリがないですし今これを書いてる私のHPがゴリゴリに削られて大層つらいです。
今まで藤原基央の書く歌詞の「君」は、聞き手によって姿を変える、いわば「不特定多数の二人称」でした。
ですがここ最近の「君」ときたら、明らかにもう「藤原基央の大切な人」のことだな???と、圧と自己主張がすごいなんてもんじゃないので、往年の結婚相手(私)は無理みのしんどみに拍車がかかって道路に顔面を擦り付け血みどろになりながら叫びたくなります。
②に関しては、もう伝えたいことが沢山出てくる時期なんだろうな→結婚&子供、という安易な考えでしかないです。あとはマネーがほしいのか?養育費?
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少し話は変わって、BUMP OF CHICKENを知らない人に、最初に聴いてほしいと思うアルバムは個人的に「ユグドラシル」です。
「jupiter」以前の作品は、人を好きになりたいのに傷つくのが怖いという、まるで絵本に出てくる優しい鬼が葛藤するようなガリガリと荒削りな歌詞やら、ギンギンに響くギターがいろいろと不安になる演奏やらで、最初から触れるには少々、藤原基央ってヤバイ奴なのでは?と、第一印象が悪くなってしまう気がしてしまう。(そこが良い)
「orbital period」「COSMONAUT」も大変好きな作品なのだけど、これらでは「BUMP OF CHICKENは星のことばっか歌うバンドなのかな?」「絵本みたいな世界観が好きなのかな?」と偏見が生まれかねない。まぁそれは間違いではないのだが、彼の引き出しはもっともっと深く、人知の届き得ないほどに多彩なのだ。
藤原基央とは、鬱々とした社会への不平不満を、弱くて美しい繊細な現代人が、ドロドロに24時間煮込んで出来上がったのがこの曲です、みたいな歌も創る。(※個人のイメージです)
さすがに28年間の公転周期を迎えた大人は、そこまで脆弱さを曝け出さないし、彼らの「BUMP OF CHICKEN」というブランドが、この時期から、それを出させなくさせている気がした。(そこが良い)
「RAY」以降は、「jupiter」「ユグドラシル」の頃と比べると完全に別のバンドだ。電子音がキラキラと瞬き、共に生きる喜びを唄い、「こんな社会でも毎日生きてしまうんだ」と言わんばかりの前向きな言葉。「この辺りからバンプ聞かなくなったんだよね〜」みたいな声もいくつか聞いたが、ある意味腑に落ちてしまう。(そこが良い)
そんな理由で、初めての人に聴いてほしいアルバムは、メジャー2ndアルバム「ユグドラシル」です。あ、Amazonのリンク貼っときますね。
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で、何の話かと言うと、つまり「藤原基央が書く世界は、複数枚のアルバムの中で、これだけ変化している。」ということだ。
安易に人に勧められない、勧めたらその作品によって、異なる印象を受けるかもしれない、BUMP OF CHICKENの楽曲とは、そんな者たちの集合体なのだ。
思えば、20年活動していて、同じ世界観を保ち続けるアーティストとはどれほどいるだろうか。例えば、ミスチル、イエモン、B'z、ラルク……、彼らの「作品」や「作風」は変化しているだろうか。ディープに聴き込んだリスナーとライト層の違い、特別な思い入れがある時代の違いによって、十人十色の意見だと思う。どのバンドにも「あのころは…」と語る懐古厨はいるし、追っかけ続ける人は10年単位で人生を捧げている。
別目線での話になるけれど、ちょっと前まで藤原基央の作る曲はやたらと長かった。どれも4分台では収まらず、アルバム「COSMONAUT」では、「モーターサイクル」以外のシングル曲が5分超えという伝説も生んだ。でも「話がしたいよ」は4分21秒で短すぎる。こんなミドルテンポの曲、これまでなら6分くらいで歌いそうなイメージがあるのに、「えっ?4分でいいの?」と肩透かしを食らったような心地になる。
でも、何度も言うが、「今の藤原基央」は4分でいいんだ、と思う。バスを待っている藤原基央がポツリポツリ思ったことは、他愛もなく、捻りもなく、素朴で正直な「話がしたいよ」の感情だったんだろうと感じた。てか東京ってバス4分で来るんですか?地下鉄かよ。
なんと、現在私も藤原基央が「プラネタリウム」を書いた年と同じ年齢になったわけですが、私が高校生のとき書いていたブログのテンションや、大学入学当初呟いていたツイッターのノリで、もう文字は打てないし怖すぎる。ティーンエイジャーの発するエネルギー、すごいですよね。
誰にでも社会に対する不平不満はあるし、強い言葉に乗せてぶちまけたくてしょうがなかった時代もあるし、蓋をしたい黒歴史もある。
2018年の今、最新のそんな歌を聴きたいならば、絶賛黒歴史を進行中のバンドの曲を聴けばいいわけで、それを今のBUMP OF CHICKENに求めるのは間違いだ。そんなときにお勧めするのが、彼らのメジャー1stアルバム「jupiter」です。あ、Amazonのリンク貼っときますね。
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「好きなブランドだから買う」「毎回買ってるブランドだから自分にとって良いに決まっている」そんな雰囲気のまま、安直に買い物をしてしまう時ってあるあるですよね。
BUMP OF CHICKENも、もしかしたら、そんな存在になってしまっているのかもしれない、と思ったことがありました。「firefly」のときです。
バンプと言ったら、もうメロディーが私をつかんで離さなくて、キュンキュンしてただただ最高だと思っていた藤原基央絶対唯一神宗教に熱心になっていたあの頃です………。「あれ?バンプの曲なのにしっくりこない?こんなんじゃないじゃん?」という疑惑は自分にとって未知で、あんなに大好きだったものが、以前ほど響かないことへの違和感と恐怖に悩んだ。私だけ取り残されていくような、信じていた神を信じられなくなったような心地だった。
私が一番好きなアルバムの、「orbital period」のような曲を発表するBUMP OF CHICKENはもういないし、BUMP OF CHICKENよりもずっとかっこよくて、オシャレでエモいメロディで歌うバンドもたくさん知った。
でも、やっぱりBUMP OF CHICKEN最高だわと実家に帰ってきてしまう。20年かけた、アーティスト藤原基央の成長を追いかけるのがたまらなく楽しい。「こんな歌聞いたことない!」を、一番長く付き合ったバンドで感じられるのが心から嬉しい。今の藤原基央の生む作品たちの、心弾むキラキラしたメロディの曲、しっとりと歴史を振り返るような語りの曲、これらに「新たに」ハマってしまっていることや、もはや「変わりゆくBUMP OF CHICKENをずっと追いかけたい」というエゴでしかないようなとこもあり、「曲」を聴くよりも、「BUMP OF CHICKENの新作」「藤原基央の優しい詞」を聴いている感じも否めない。
そのことに自分で気づけてから、彼らの音楽と、今の私とのリンクが、息をするようにスンと出来るようになりました。大好きだBUMP OF CHICKENの曲。本当に素敵なんだ。もちろんメロディも言葉にできないくらい好きだよ。胸が苦しくなるくらい毎回恋してるんだ。
だからこそ突然のベイビーはやめろ。